qkyuqの日記

無駄なことなんてひとつもないよ

μ′sの死んだ日

 

2016年1月24日、ラブライブ!スペシャルステージに参加してきた。

田舎の小さなスクリーンとはいえ席の埋まり具合も上々、慎ましいコールも聞こえ楽しいステージだったと思う。

そんな中、私の隣の席の男性はほかとは異なる佇まいを見せていた。

 

スペシャルステージは入場の際に来場者特典として、μ′sの九人が描かれた書き下ろし色紙が配られる。

20センチ四方くらい?のなかなか大きな色紙で、カバンに入れられず手持ちで持ち帰る人も多数見受けられた。

 

その色紙を上映中、ずっと、ずっと抱いていてるのだ。

抱きしめるのではなく、スクリーンに向けながら静かにライブ映像を鑑賞している。

 

 

 

なんだこの人は……。

 

 

 

死んだ娘の生前のビデオでも見ているのか…………???????

 

 

 

遺影かよ!!!!!!

 

 

 

サイコパスかもしれない隣人に戦きを感じつつサイリウムを降る私。

コールを入れるラブライバー

向かい合うライブ映像と全く同じキャラの描かれた色紙。

 

ライブの高揚感と合わせて脳内麻薬が異常分泌され、ラリれそうな錯覚に陥っていた。

 

これだけならTwitterですませば良いのだが、車で1時間の帰り道、冷静になって考えてみると思い当たる事があった為ブログに長々と書き記しておこうと考えた。

 

 

 

 

 

 

「あの人のμ′sは死んだのだ」

 

 

劇場版を経てμ′sは解散となった。

それは九人の分散を意味し、誰一人欠けた訳では無い。全員を大切にした結果そうなったわけで、ハッピーエンドで幕を閉じた。

 

劇中で語られなかっただけで、彼女達が進級・進学を経て就職したり、そういう未来があるのは誰だってわかることではある。

高坂穂乃果は和菓子屋を継いで、西木野真姫は医者になり、南ことりはデザイナーになるかもしれない。

 

ただ、ラブライブ!というコンテンツのサブタイトルには「スクールアイドルプロジェクト」――一つの呪いじみた言葉がある。

これは彼女達(μ′sだけではなく、Aqoursも含める事になるのだろうか)が起こし得る事象は「女学生」すなわちスクールアイドルでいられる時間のみに限られるという事だ。

勿論二次創作における矢澤にこの卒業後アイドルデビュー等は多く、そういった物も好んで読む。

ただ、公式はそうであってはならない。

あの世界では時間は地続きではない。高校生活の中でのアイドル活動、それ以前とそれ以降が抜け落ちているのではなかろうか。

 

劇場版にて綾瀬絵里が穂乃果へ送るメールの文面も、「限られた時間の中で、精一杯輝こうとする、スクールアイドルが好き」という一文で締められている。

彼女達にはあの時しかないからこその言葉であり、その決意を以てスクールアイドル「μ′s」は死んだのだ。

 

μ′sはもう踊らない。

ファイナルシングルにもアニメPVが付かない事が予想される。

 

だからこそ、隣の男性はひとり静かに追悼を していたのだと。

 

もう動けずとも無償の感謝を述べてくれる彼女達に、せめてもの手向けを送っていたのだと私は思う。

同時に、劇場版における高山みなみ演じる女性シンガーは、そういう人に対する救いなのだとも感じた。